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800字エッセイ「私の家族」

日本語表現Ⅰの授業課題であった800字エッセイ「私の家族」から
下川正晴先生が選んだベスト10をご紹介します。

※写真は、6月5日に大分市・府内五番街商店街で行われた「第2回府内学生ECOフェスタ」の模様です。
芸短大の学生たちが中心になって行いました。


ベストテン





「涙のスイッチ」
 じいちゃんとばあちゃんは仲が悪い。まあ、じいちゃんが怒るのも無理ないと思う。
ばあちゃんは料理オンチだ。
卵焼きは形を成していないどころか、塩の塊が入っている。
焼きそばは油の海に浸かっている。
それにキレたじいちゃんは、焼きそばをばあちゃんに投げつけて、唯一の得意料理の炒飯を作っていた。
 料理以外で言えば、髪は輪ゴムで結ぶ。ヤクルトは親指で突き破って開ける。
お茶は湯飲みいっぱいに注ぐ。一体どこを持てと……。
とにかく、一口で言うと、女としてのスキルが欠如している。
 じいちゃんとばあちゃんはお見合い結婚だ。大分の片田舎で、農業を営みながら二人暮らしをしている。
じいちゃんはいつも軍人さんよろしく背筋をビシッと伸ばしていて、
禿げた白い頭以外は年より若く見える。酒と煙草の大好きな80過ぎ。
ばあちゃんは小柄で、すごく腰が曲がっている。いつも縁側で煙草をスパスパ吸っている。
歳はじいちゃんより14歳下。
 二人が喧嘩をする時はギャンギャン言い合って、ばあちゃんは決まって
「なしそげぇウチにつろ当たるんな」と言う。
小さい体のどこにそんな力が、と思うくらいパワフルに口げんかをする。
 そんなばあちゃんは、私が高校一年のときに死んだ。心筋梗塞だった。
私達が病院に駆けつけた時、もう意識はなく、機械に生かされている状態だった。
親族が集まったところで機械のスイッチが切られた。
皆泣いていたが。じいちゃんは無表情のまま立ち尽くしていた。
 親達が葬儀の準備をし、ばあちゃんの地元で行われた。その日は雨だった。
ばあちゃんの家はお寺だったから、弟がお経を読んでくれた。
葬式の間も、じいちゃんは泣かなかった。
 葬式が終わって火葬場に運ばれた。私達も各自の車でそこへ向かった。
ばあちゃんは長方形の台に乗せられ、四角い入り口の釜の中に入れられた。
係りの人が扉を閉め、火葬するスイッチをじいちゃんに押して欲しいと言う。
前に歩み出て、じいちゃんが緑のスイッチを押した。
 その時、初めて、じいちゃんは泣いた。                

ECOフェスタ


「神様仏様Gackt様」
 私はGacktが好き。曲も顔も人柄も。絶世の美男だと思うし、男の中の漢(おとこ)だと思う。
なによりGacktの曲を聴くと落ち着く。
そんな私は物心ついたころから、Gacktの声や外見に触れていた。
なぜなら、母がMALICE MIZER時代からの熱狂的なGackt信者だからだ。
 小学生のころ、狭いアパートのリビングには、壁中の額縁にGackt様が居た。
短縮授業などで早く帰ると、Gackt様の歌声に包まれ、母はタンスの開きに向かってお祈りをしていた。
開きの中にはGackt様の本や雑誌、CDやグッズ。そして蝋燭。
まるで祭壇である。
 弟が生まれた時なんて、母は弟をGacktにしたくて、ヴァイオリンを習わせようとした。
しかし、結局母の夢はかなわず、弟は剣道少年になった。しかも坊主。
 最初はなんの関心も抱いていなかった。
そんな私がGacktに心打ち抜かれたのは、とあるPVで王子様Gacktを見た時だ。
「あぁ、なんてセクシー」
私は幼いながらにGackt様に欲情した。それ以降、私と母の共通の趣味はGackt。
二人でGacktの曲や発言にキャッキャッする。それが楽しい。
 ナルシストな弟は、たびたびGacktに成りきって歌うが、
坊主頭の中2がどんなにカッコつけてもGacktにはならない。
無理だと諦めたのか、最近はhydeに成りきる。
弟よ、どちらにせよ女の子に聞かせる時は目隠ししてもらえよ。
 しかし、顔をしかめる者もいる。それは父だ。父は車でGacktの曲は流さない。
知らずに自ら流すことがたまにあるが、Gacktだと分かるとすぐに変えてしまう。
でも、父のお気に入りの香水はGacktと同じものだったりする。父は母が大好きなのだ。
 最近母は悟りを開いたらしい。GacktのCDやグッズを買い漁らなくなった。
どうしたことかと問えば、「お母さんの心にね、いるのよ」と答える。
落ち着いたのかもしれないし、家計のためかもしれない。
だか、もしそれが本当だとしたら、もう末期であろう。
 我が家が仲良し家族なのは、Gackt様のおかげかもしれない。ありがたや。ありがたや。

ECOフェスタ


「素敵な姉」
 私には知的障害を持つ姉がいる。姉は施設に入っているので、会うのは正月やお盆ぐらい。
歳は16才離れており、父親が違う。
しかし、私も姉も母親似のため顔が似ている。
 幼い頃の私は、姉が大っ嫌いだった。その理由は「障害者だから」だった。
私はずっと冷たく当たっていた。でも姉は私に優しかった。
小学校や中学校で人権や差別の授業を受けて、自分の姉に対する行動を恥じた。
 私はふと、姉について考えてみた。姉は絵を描くのが上手い。
想像力もあり、自分で考えたオリジナルのドレスの絵を描いていた。手先が器用で裁縫ができる。
母に手編みのマフラーをプレゼントしたことがある。
極め付けに、歌が上手い。表彰されたこともあり、母はその賞状を大切に保管している…。
おねぇちゃん凄っ! 
私より何でもできる。
 高校2年の私の誕生日。家にはケーキと御馳走があると、わくわくしながら帰った。
しかし、家に着くと、明かりがついていない。家に入ると、母がいない。
母に電話をする。
しばらくして、うるさい雑音と共に母が出た。
「今パチンコしてて、かかってるから帰れない。そのうち祝ってあげるから」
パチンコでドタキャンはよくあることだ。
しかし、今回ばかりはショックだった。
 一人でカップ麺を食べていると、家の電話が鳴った。電話の相手は姉だった。
「17歳の誕生日おめでとう!ハッピーバースデー!」。
そういうとハッピー・バースデー・トゥー・ユーを歌ってくれた。
「…ありがとう」お礼を言う私の声は震えていた。
17歳になって誕生日で泣くなんて、思ってもいなかった。本当に嬉しかった。
私はなんて素敵な姉を持ったんだろうと思った。
 「今年から大学生ね。頑張ってね」。まだ大学に行くとは決まっていないお正月に言われた。
どうにか大学生になれました。大学生になれたから頑張ります。

ECOフェスタ

「葉書の嘘」
 母に葉書を出した。お店の人に勧められて、母の日に葉書を出すことになったのだ。
いい締めの言葉が浮かばなくて、私は嘘をついた。
『これからも、まさみちゃんと仲良くね』。
一度も思ったことはない。
 まさみちゃん、というのは母の再婚相手のことである。31歳、ニート。アルバイトすらしない。
稼ぎもしないのに、お菓子や炭酸飲料を飲みたがる。映画と筋肉オタク。
家事も掃除機をかける程度で、一日中家で漫画を読んで過ごす。
私と妹は、彼を陰で「犬」と呼んでいる。母に飼われているペットにしか思えないからだ。
そんな相手と『仲良くね』なんて、どうして母に言えるだろうか。
 葉書は、見られる前に回収するつもりだった。
しかし、私が出掛けている間に、葉書は家に届いていた。
「母の日の葉書届いたよ!」。
嬉しそうな母のメールの文面に、私は良心がきりきりと痛んだ。
最後の一文は嘘です、とは言えなかった。
よりによって母の日に、滅多に出さない手紙で母に嘘をついているなんて。
 だが、この嘘も母にはお見通しなのだろう、と私は思っている。
ダメ男好きだが頭はいいし、なにより18年間、私の母をやっているのだ。
だから「あれは嘘だったんでしょ?」と聞かれたとき、
「今は嘘じゃないよ」と言って、母を驚かせてみたい。
今はまだ「嘘です」としか言えない。
犬が仕事をしてくれれば、私は二人の結婚生活を素直に応援できるのだけれど。
我が家の二足歩行の犬が、人間になるのはいつだろう。 

  ECOフェスタ

特別な麻婆豆腐
 「そこのお姉さん、止まってくださ~い」。気付いたときにはもう遅かった。
そう、私は1週間前に、原付のスピード違反で白バイに捕まってしまった。
17キロオーバーの7,000円の罰金だ。
2ヵ月前に普通自動車免許を取って、学校の登下校には原付で通っている。
そんな一週間前の帰り道のことだった。
 門限を1分でも過ぎると怒鳴る父と、家事から仕事、子育てまですべてを完璧にこなす母という、
どちらかというと厳しい環境で育った私にとって、
このことを特に母に話すのは、胃が煮えたぎりそうなくらい、とても苦痛だった。母がゴールド免許だからだ。
 両親は共働きなため、予想通り、家に帰ると誰もいなかった。まず、母に電話をかけた。出ない。
安心と恐怖が入り交ざる。次に父に電話をかけた。でた。
話さなければならない事情を話した。「お前…あほやのう。まあ、しゃーないな」と言われた。
いつもにない意外な言葉。私は少し驚いた。
その後、私は夜までアルバイトがあったため、母とは連絡を取ることはできなかった。
 アルバイト中は、母には何から話そうか真剣に考えた。言われた時に言い返す言葉も考えた。
しかし、ゴールド免許には到底勝てそうにない。
バイトの休憩中、ふと鏡を見ると、眼の下にはくま。化粧でも隠しきれないくらいの黒さだ。
 バイトも終わり、母へ「今から帰るよ」のお決まりのメールを送って家へ帰る。
しかし、帰りついてもなかなかドアを開けることができない。ドアの前で立ち尽くす。
「蚊が入るからドア早く閉めて」が口癖の母の声が、頭の中をぐるぐるとリピートする。
そして勇気を出して、思いっきりドアを開けた。
「ただいまー」の私の声と同時に、「おめでとーう」という大声が重なった。母だった。
私はさっぱり意味が分からなかった。
 「これであんたもオトナの仲間入りやな」と母。「今回の罰金は授業料と思えばいいんよ」と父。
父が母に話してくれていたのだ。スピード違反はオトナの仲間入りなのか。
罰金は授業料と思ってもいいのか。よく分からない。
しかし、父も昔は、警察にはお世話になっていたらしい。どっと肩の荷が下りて、急に涙がでてきでた。
怒られなかった。いままで自分で考えていたことがばかばかしくなってきた。
急にお腹がすいてきた。その日の晩ご飯は麻婆豆腐だった。

ECOフェスタ

「また、会いましょう」
 その日、いつもは午後7時過ぎに帰宅する父が、11時に家に戻った。
 スキンヘッドで、サングラスをかけているため、私の友人からはよく「怖い」と言われる。
外見に反してお調子者で、よく寒いギャグを放ってくる。
そんな父が、眉を八の字に下げ、目に涙を浮かべながら、
「どうしよう、お母さん死んじゃった」と震えた声で言い、
「お父さんが病院に着いた時にはな、お母さんな、もう心肺停止しちょったんや。
看取ってあげられんやった」と続けて、俯いた。
私は「病院、行こう」と言って、それきり何も言えなくなった。
高校3年、1月5日の事だった。
 母は、腎臓を患う1級障害者だった。
私が保育園に通っていた頃からずっと、入退院を繰り返し、数えきれない程の手術を受けた。
「こんなお母さんでごめんね。色々してあげられなくてごめんね」とよく言っていた。
私は一度も、こんなお母さん嫌だなんて、思った事は無い。
反抗期には「五月蠅い」と言って、逆らってしまった事もあるけれど、重度の障害を持ちながら、
入学式や運動会、卒業式には無理をしてでも出席してくれ、
私が悩んでいる時には何時間でも話を聞いて、頭を撫でてくれる母が、私は大好きだった。
 死因は、心臓発作だった。母は透析を受けるために通院していた。
その日も透析を受けるために病院に行き、着くなり発作を起こし、そのまま帰らぬ人となった。
医師の説明を聞きながら、私はまだ温かい母の体に触れていた。
ずっと触れていると、徐々に冷たくなっていった。
母が死んだのだと実感して、悲しくなった。大声を上げて泣く事は無かった。
でも、何回拭っても、涙はなかなか止まらなかった。
 4か月以上たった今でも、母が他界した事を忘れて、「あのさ、お母さん」と呼んでしまう事や、
夕飯を母の分まで作ってしまう事がある。その度に、少し泣きそうになる。
そんな時は、母が他界する前日に私にくれた、猿の御守りを見て、元気を出している。
母の分まで、人生を謳歌してやる。
精一杯生きて、死んだら、神様を脅してでも母に会って、頭を撫でてもらうつもりだ。 

ECOフェスタ 

「年の離れた親孝行」
 私がばあちゃんに初めて会ったのは、去年の秋だ。
私がまだ幼い頃、両親が離婚したため、父の家族には父以外会ったことがない。
さらに父は、私が中学生の時、事故でこの世を去った。
父の死を知ったのはその1年後。お葬式にも呼ばれなかった。
 学校で周囲が進路について騒ぎ始めた高校3年生の秋、
私は家の事を考えると、どうしても前向きになれなかった。
就職はまだしたくないが、進学といっても、お金がかかる。
ふと、「父の家に行ったら、答えが出るかもしれない」と思った。
行っても追い返される事を覚悟し、一人で会いに行くことを決心した。
 「こんにちは」と挨拶し、本堂の扉を開けた。父の実家はお寺だ。
「はい、こんにちは」と笑顔で返してくれたテーブルに座っていたその人こそ、ばあちゃんなのだとすぐに分かった。
ばあちゃんも、私のことが分かったらしい。
その笑顔で緊張がほぐれ、そしてまず何より先に、父の仏壇にお参りをした。
座布団に座り、仏壇を見上げる。
父の位牌を見た途端、今までの辛さや後悔がこみ上げてきて、涙が止まらず、
お参りを終えても、なかなかその場から動くことが出来なかった。
 しばらくして、テーブルに向かい合って座った。とても元気で、お洒落で、とても90歳に近いとは思えない。
それが初めてばあちゃんを見たときの印象だ。
私は何を話していいか分からず、ずっと黙りこくっていた。
するとばあちゃんから口を開き始めた。
父はどんな人だったのか、どうして父と母は離婚してしまったのか。
「何で死んでしまったんやろうなあ…」
そう寂しそうに話すばあちゃんを見て、私はまた、涙が止まらなかった。
 本題である進路について相談した。
ばあちゃんは、「何も心配せんでいいから、自分の後悔しない選択をしなさい。
何か困った事があったらいつでも相談しよ。 出来る限り力になってあげるから」と言ってくれた。
私はこの言葉を誰かに言って欲しかったのだと思う。
本当に嬉しかった。
 それから私は、毎月ばあちゃんに会いに行っている。
最初は会いに行くたびに父の話ばかりしていたが、最近は私の近況を話したり、
私は直接会ったことはないが、私のいとこにあたるスポーツ選手についてや、
お寺を訪れる人々について、ばあちゃんは話してくれる。
会いに行く度に、どんどん打ち解けている気がする。
父が出来なかったばあちゃんへの親孝行。
父の分までやっていこうと思っている。 

ECOフェスタ 

「こっからばあちゃん」
 こっからばあちゃんとは、私のひいおばあちゃんのことである。
団地にひとりで住み、色黒で髪は白く、楽しいことがあるとしわがれ声でよく笑う人だった。
なぜ「ひいおばあちゃん」などではなく「こっからばあちゃん」と呼ばれているのか、長い間私は知らなかった。
名前からの愛称ではない。頭の中にずっとあった疑問が解けたのは、つい最近だ。
 それは、3歳頃の私が母と一緒にこっからばあちゃんの家を訪ねたときのこと。
母はドアについている新聞受けの蓋を持ち上げ、
私に「こっから(ここから)ばあちゃーんって言いよ」と言ったそうだ。
それを聞いた私は元気よく「こっからばあちゃーん!」と言った。
「こいつは馬鹿か」と母は唖然としたが、
こっからばあちゃんは「はーい、こっからばあちゃんですよ~」と笑顔で出てきた。
母に事情を聞いたこっからばあちゃんは、声を上げて笑ったそうである。
まったく覚えていなかったが、名づけ親は私だったのだ。
 認知症になったこっからばあちゃんは、私が小学校に入る頃に遠くの病院に行ってしまい、
それからはほとんど会っていない。
私が覚えているのは手作りの干し芋がおいしかったことや、おいしそうに煙草を吸う姿、それぐらいだ。
あまりに少なすぎて、もっと話したり遊んだりすればよかったと今になって思う。
私はなぜ会いに行こうとしなかったのだろう。
 こっからばあちゃんは、私が中学1年の時に亡くなった。葬式で私は泣かなかった。
死んだという事実はわかっていたものの、実感が湧かなかった。
私の中では死んだというより、とても遠いところに行ってまだ帰ってこない、という感じが一番しっくりきている。
懐かしいあの新聞受けの蓋を持ち上げて「こっからばあちゃーん!」と叫んだら、
「はーい」と返事をするこっからばあちゃんの元気な声が聞こえるような気がしてならない。

ECOフェスタ

「妹の努力」
 私には7歳年下の妹がいる。ピアノ、新体操、習字、そろばんと、たくさん習い事をしていた。
どれも自分からやりたいと言って始めたのに、中途半端なところでやめていた。
 2年前、妹は島唄を習い始めた。
最初はただ通っているだけだという感じだったが、日が経つにつれ、大会にも出場するようになった。
私にはあまり頑張っているようには見えなかった。
家で鼻歌のように歌っているのを見て、全くやる気がないんじゃないかとさえ思った。
 私が受験勉強に励んでいた2月、妹は地区大会で準優勝となり、全国大会への出場が決まった。
正直驚いた。そんなレベルだったとは予想もつかなかった。
今となって思えば、妹はコツコツ努力していたのかもしれない。
週末の練習には必ず参加している。大会や発表会では、少しずつ確実に上達していたらしい。
小さな積み重ねが大きな成長につながるということを、本当に意外なところから学んだ。
 姉の立場としては、妹に負けたみたいでなんだか悔しい。だが、羨ましくもある。
「これだけは誰にも負けない!」と言えるものが私も欲しい。
あまり誉めたくないが、地道に努力して結果を得た妹はすごいと思う。
習い事じゃなくても、自分の自信となるものはたくさんある。
妹の姿を見て、私も何か行動してみようと思った。
努力して得られた達成感を味わってみたい。
 妹は最近、すごく練習にやる気を出している。
全国大会は東京で行われるので、ただ単に東京行きが楽しみなだけなんじゃないかと思うとなんだか笑えてくる。
結果が楽しみだ。

ECOフェスタ

「自称、家庭内別居」
 私の父親は、58歳である。職業は地方公務員。あと2年で定年退職である。
実は、私が小学6年生のとき家庭内別居がはじまった。
別居をはじめた理由は、父が夕食を食べたり食べなかったりして母が遂にブチギレたからだ。
ちなみに母は、専業主婦である。
 家庭内別居といっても、同じ敷地内に父が2階建ての小屋を建てたというだけである。
トイレとお風呂とキッチンさえあれば、十分暮らせる環境である。父は、食事は1日1回しかしない。
これは、ゴミを増やさないというエコを心構えていると思う。
ちなみに父の主食はビールである。
しかし、これは家庭内別居とは言わないだろう。
なぜなら、父はお風呂やトイレの時は家に帰ってくるのだから。
そして、勝手がいいことに、自分がさびしいときだけ家に帰り、リビングに来てボーっと突っ立っている。
正直何がしたいのか意味が分からない。
 私の妹は現在、中学1年生であるが、反抗期のせいなのか素なのかわからないが、父をすごく嫌っている。
しかし、父はそんな妹に相手にしてもらいたいがために、機嫌取る。
まるで立場が逆だ。私は、そんな父をみていると胸が痛くなる。
 自称、家庭内別居。わたしは、結構好きだ。
わたしは、母親に怒られたときや妹と喧嘩したとき、父の住居に逃げ込む。
こういうときに家庭内別居は都合が良い。

ECOフェスタ
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プロフィール

ヒマなんじゃー

Author:ヒマなんじゃー
美味しいお店から、
アンダーグラウンドな情報まで…

キュートな9人の女子大生
芸短戦隊ヒマなんじゃー
ありとあらゆる情報をお届けします☆


【今日の一言】

メンバー数が増えすぎて、誰が誰なのか…
いまいち把握できていない編集長です^^;;

そのうち、
メンバー紹介ページを作ろうかと思案中…
(;一ω一)ぐぬぬ


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あしからず。

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